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結局、自分が信じている通りに現実が振る舞うっていうことに行き着くよなぁと改めて感じている今日この頃。 身体に対する認識が変わった瞬間に、全然違う方法が見えてきたり。 身体を自分と認識するか、自分は身体の表面だけで、肉体そのものは神の聖なる器と認識するかで、肉体の力が変化します。 身体を自分と認識すると、神との繋がりを遮断してしまうようで。 ところが、表面だけが自分と認識し、身体は神の聖なる器、神の顕現と認識すれば、力が溢れだしてくるという。 委ねるべきは、身体に宿る神の創造力なのだなぁと。 どうしても身体をすっとばして、遠くに神なる存在を求めてしまうものですが、身体が神のアクセスポイントであるという認識を持つならば、その様に現実が動き始める様です。 ただし、確信してないと無理っぽい。 意識の中心という言葉で表現しているのは表層意識の中心であるので、それを顔の中央に置き、そこを基点に後ろを感じることで身体を感じれば、何となく感覚的に分かって頂けるのではないかな?と。 身体を後ろに捉えるところがポイントらしい。 自我が強すぎて身体全体を自分を考えると、身体の表面に分厚い自我がコーティングされ、神との繋がりが絶たれてしまうという感じか? 自我を緩め最小限度にすれば、身体の表層の自我コーティングは網目くらいまでいくので、神と繋がれるという。 逆説的ではありますが、そうやって神との繋がりが強くなると、全てが自分であるという方向に意識が変化します。 自我の範囲を最小限にし、身体に宿る神の創造力に委ねることで、自己の範囲が広がるという。 小難しいことは抜きにすれば、現実化の発動機は、肉体そのものであると考えていただければ。 肉体に委ねるという気持ちが、創造力の開放に繋がるのかも知れない。 もちろんそう確信できればということになりますが。 結局、現実世界は自分が信じている通りに振る舞っているにすぎないということですからね。 |
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